SUBARU労連 SUBARU関連労働組合連合会

歴史

富士労連結成までの歴史

 自動車総連の前身である自動車労協の発足(1965(昭和40)年8月)に伴い、自動車産業界の再編など取り巻く環境が激しく変化する中で、スバルグループも 組合員の雇用と生活を守るためには、企業の枠を超えた連帯活動が必要であるといったことから、より強固な組織体制の確立を求める気運が高まり、翌1966(昭和41)年3月に 「富士重工企業関係労働組合協議会」(以下富士労協)が結成されました。
 富士労協には、輸送機工業、富士機械、富士ロビンの3単組と富士重工労組の前身である富士重工労連(本社・三鷹・大宮・群馬・伊勢崎・宇都宮6組合)の組合員13,500名が 結集し、そのスタートを切りました。
 富士労協の運動は、その後富士労連結成までの6年間、組合員の生活条件の向上を目指し、統一闘争が展開できるよう共闘を模索し続けた時代といえます。

 その後、1968(昭和43)年には、富士重工労連が単一化へ大きく動き出し、同年9月に単一組合としての結成大会が開かれ、富士重工労組となりました。 また、1972(昭和47)年には、販売に携わる組合員が結集し、力を合わせていこうと、栃木・埼玉・名古屋・札幌・伊藤忠(中央スバルの前身)120名により、 全国スバル販売労働組合連絡会議(栃木スバル120名、埼玉スバル180名、名古屋スバル550名、札幌スバル170名、岩手スバル40名、伊藤忠自動車900名、長崎スバル60名、 鹿児島スバル50名、大分スバル50名、富士重工業11,000名で構成)が結成され、販売部門労組の組織化が図られました。
 同年8月には、自動車労協が労働条件は今や産業レベルで決まっていくと判断し、「連合体」に発展させる方針を打ち出したことから、富士労協も「連合体」への移行に向けて 「労連結成準備委員会」を設置し、具体的準備を進めました。そして、これからの組合員の多様な要求を実現していくためには、各組織を一体化することや、上部組織の選択などの 論議が活発に行われました。最終的には、働く者がバラバラであってはならない、1人でも多くの組合員が同じ組織に結集し、同じ行動に立ち上がる事こそが大切であり、 そのためにより強固な組織体にしていくべきだとして、10月の大会で富士労協を発展的に解消し、「連合体」に移行する事を確認しました。 そして、度重なる準備委員会で名称や綱領、規約・規程などを検討、策定しました。
 こうして、富士労協は1972年(昭和47)年10月30日をもって6年間の歴史に終止符を打ち、翌31日には、富士労連の結成大会が開催され、新たな役員、方針のもとで労連活動の 第一歩をスタートさせました。

富士労連の時代

1970年代

1972(昭和47)年 10月31日 富士労連結成大会
(富士重工業、輸送機工業、富士機械、富士ロビン、桐生工業、栃木スバル、埼玉スバル、名古屋スバル)
1973(昭和48)年 9月18日 全国スバル販売労働組合協議会(スバル販労協)が結成
(札幌スバル、岩手スバル、栃木スバル、埼玉スバル、名古屋スバル、長崎スバル、大分スバル、鹿児島スバル)
1973(昭和48)年 9月19日 第2回定期大会開催
スバル販労協の労連加盟を承認
1973(昭和48)年 10月 1日 坂本工業労組 富士労連に加盟
1974(昭和49)年 9月19日 第3回定期大会
大阪スバル、阪神スバル、兵庫スバル、広島スバル、秋田スバルが新規加盟
1975(昭和50)年 2月13日 宮城スバル 富士労連への加盟承認
1975(昭和50)年 2月26日 臨時大会で統一地方選組織内候補6名の勝利と75春闘方針を決定
1975(昭和50)年 4月 富士重工労組、春闘で争議(24hスト及び時間外拒否)
長期不況でレイオフ続出、富士重工も一時帰休を実施
1975(昭和50)年 4月27日 統一地方選挙で6名の組織内議員全員当選
・群馬県太田市  2名(金井政雄、富沢公晴)
・群馬県伊勢崎市 1名(馬場守)
・栃木県宇都宮市 2名(大柿八郎、坂田駒三郎)
・愛知県半田市  1名(清水吉清)
1976(昭和51)年 2月24日 臨時大会で76春闘を決定
難波スバルの労連加盟を承認
1976(昭和51)年 9月14日 第5回定期大会開催
スバル九州の労連加盟を承認
1977(昭和52)年 7月29日 中央スバル、和歌山スバル、宮城スバルの労連加盟を承認
1978(昭和53)年 3月15日 春闘要求で初めて労連統一要求が実現(賃金12%)

1980年代

1980(昭和55)年 1月24日 部品関係労働組合協議会(部労協)を結成
1981(昭和56)年 4月12日 大泉町議会議員選挙で、柿沼良平氏当選
1982(昭和57)年 5月25日 第24回中央委員会で5ヵ月基準とする一時金方針を決定
福島スバルの労連加盟を承認
1982(昭和57)年 9月17日 第11回定期大会開催
第一鍛造労働組合の労連加盟を承認
スバル販労協が単一組織「全国スバル販売労働組合」を結成
1983(昭和58)年 4月 統一地方選で、組織内議員6名が当選
・栃木県議会   1名(引地ただし)
・群馬県太田市  2名(富沢公晴、石川正弘)
・群馬県伊勢崎市 1名(小林ひさのぶ)
・栃木県宇都宮市 1名(大根田倭之)
・愛知県半田市  1名(村山義信)
1983(昭和58)年 9月16日 第12回定期大会開催
千代田工業労働組合の労連加盟を承認
1984(昭和59)年 3月16日 労連の労使懇談会を初めて開催
1985(昭和60)年 4月21日 大泉町議会議員選挙で、松沢照二氏初当選
1985(昭和60)年 5月15日 福山スバルの労連加盟を承認
1985(昭和60)年 7月29日 新組合会館「ユニオンセンター」が完成
本部を埼玉県大宮市(現さいたま市)から群馬県太田市に移転
1985(昭和60)年 9月17日 第14回定期大会を開催
吉川工業労組、大嶋電機労組、東亜工業労組の労連加盟を承認
1986(昭和61)年 2月14日 第31回中央委員会を開催
東京スバル支部、しげる工業労組の労連加盟を承認
1986(昭和61)年 5月13日 神奈川スバル支部の労連加盟を承認
1987(昭和62)年 4月30日 統一地方選で、組織内議員7名が当選
・群馬県議会   1名(塚越久雄)
・栃木県議会   1名(引地ただし)
・群馬県太田市  2名(富沢公晴、石川正弘)
・群馬県伊勢崎市 1名(小林ひさのぶ)
・栃木県宇都宮市 1名(大根田倭之)
・愛知県半田市  1名(村山義信)

1990年代

1990(平成2)年 2月 2日 第39回中央委員会開催
旭川スバル支部、山形スバル支部、松本スバル支部、北九州スバル支部、福岡スバル支部の労連加盟を承認(日産労連より移管)
1991(平成3)年 4月 統一地方選で、組織内議員7名全員が当選
・群馬県議会   1名(塚越久雄)
・栃木県議会   1名(引地ただし)
・群馬県太田市  2名(石川正弘、中島貞夫)
・群馬県伊勢崎市 1名(小林ひさのぶ)
・栃木県宇都宮市 1名(大根田倭之)
・愛知県半田市  1名(村山義信)
1992(平成4)年 5月 8日 労連結成20周年記念行事としてシンボルマークを募集
1992(平成4)年 7月 26日 第16回参議院議員選挙で直嶋正行 初当選
1992(平成4)年 9月 13日 第21回定期大会を開催
沖縄スバル支部の労連加盟を承認
富士労連シンボルマーク決定
富士労連シンボルマーク

富士重工労組 東京支部 馬場宏之さん
全体を富士山のイメージで、友情・参加・飛躍を富士重工業労働組合・全国スバル販売労働組合・部品関係労働組合協議会の3つの輪でつなぎ、 右端の丸は、未来を表す

1992(平成4)年 9月 28日 労連結成20周年記念レセプション開催
1992(平成4)年 12月 21日 クリスマスチャリティー公演を労連結成20周年記念事業の一環として開催
1993(平成5)年 4月25日 大泉町議会議員選挙で松沢照二 3期目の当選
1995(平成7)年 4月23日 統一地方選で、組織内議員全員が当選
・群馬県太田市  2名(中島貞夫、小林耕作)
・栃木県宇都宮市 1名(藤枝実)
・愛知県半田市  1名(村山義信)
1997(平成9)年 4月20日 大泉町議会議員選挙で村山博茂 初当選
1998(平成10)年 7月12日 第18回参議院議員選挙で直嶋正行 2期目の当選
1999(平成11)年 4月25日 統一地方選で、組織内議員全員が当選
・群馬県太田市  2名(中島貞夫、小林耕作)
・栃木県宇都宮市 1名(藤枝実)
1999(平成11)年 9月17日 全国5地区で新支部スタート
・山形スバル支部(山形スバル、スバル山形)
・東京スバル支部(東京スバル・中央スバル)
・神奈川スバル支部(神奈川スバル・スバルオート横浜)
・大阪スバル支部(新大阪スバル・南大阪スバル)
・広島スバル支部(広島スバル・福山スバル)

2000年代

2001(平成13)年 4月22日 大泉町議会議員選挙で村山博茂 2期目の当選
2001(平成13)年 7月29日 第19回参議院議員選挙で池口修次 初当選
2001(平成13)年 11月13日 北海道スバル発足(旧札幌、室蘭、函館)
2002(平成14)年 1月11日 新沖縄スバル発足
2002(平成14)年 5月19日~20日 労連結成30周年記念事業
「30チャレンジカップボウリング」開催
2002(平成14)年 8月 労連結成30周年記念事業 「ふれあいフェスタ」開催
 (軽井沢、福岡、宮城、京都の4会場)
2003(平成15)年 8月 1日 「法律相談制度」開設
2004(平成16)年 4月17日 第20回参議院議員選挙で直嶋正行 3期目の当選
2005(平成17)年 4月17日 大泉町議会議員選挙で村山博茂 3期目の当選
2006(平成18)年 4月 4日 北海道スバル支部統合(旭川スバル・北海道スバル)
西九州スバル支部統合(佐賀スバル・長崎スバル)
2006(平成18)年 9月 12日 スバル販労 南九州スバル支部結成大会
2006(平成18)年 10月 11日 スバル販労 四国スバル支部結成大会
2007(平成19)年 1月29日 太田市議会議員選挙で石倉稔 初当選
2007(平成19)年 7月22日 第21回参議院議員選挙で池口修次 2期目の当選
2007(平成19)年 10月 1日 スバル販労 新長野スバル支部結成大会
2007(平成19)年 10月 3日 スバル販労 東四国スバル支部結成大会
2007(平成19)年 12月 1日 スバルシステムサービス労働組合結成大会
2008(平成20)年 1月15日 スバル販労 青森スバル支部結成大会
2008(平成20)年 4月 5日 富士部品工業労働組合結成大会
2008(平成20)年 5月29 スバル販労 岡山スバル支部結成大会
2008(平成20)年 6月 2日 スバル販労 山陰スバル支部結成大会
2008(平成20)年 10月 1日 スバル信州支部統合(松本スバル・新長野スバル)
2009(平成21)年 1月7日 スバル販労 京都スバル支部結成大会
2009(平成21)年 4月12日 大泉町議会議員選挙で村山博茂 4期目の当選
2009(平成21)年 12月 9日 スバル販労 山口スバル支部結成大会
2009(平成21)年 12月14日 スバル販労 北陸スバル支部結成大会

2010年代

2010(平成22)年 7月11日 第22回参議院議員議員選挙で直嶋正行 4期目の当選
2011(平成23)年 4月24日 太田市議会議員選挙で石倉稔 2期目の当選
宇都宮市議会議員選挙で小平美智雄 初当選
2012(平成24)年 7月24日 富士労連結成40周年を祝う会開催
富士労連結成40周年を祝う会開催
富士労連結成40周年を祝う会開催
2012(平成24)年 8月 8日 スバルロジスティクス労働組合結成大会
2013(平成25)年 4月21日 大泉町議会議員選挙で都丸裕史 初当選
2013(平成25)年 7月21日 第23回参議院議員選挙で礒崎哲史 初当選
2013(平成25)年 11月20日 富士労連結成40周年記念ボウリング大会
富士労連結成40周年記念ボウリング大会
富士労連結成40周年記念ボウリング大会
2015(平成29)年 4月12日 太田市議会議員選挙で石倉稔 3期目の当選
宇都宮市議会議員選挙で小平美智雄 2期目の当選
2016(平成28)年 7月10日 第24回参議院議員選挙 浜口誠 初当選
2016(平成28)年 9月 3日 正田製作所労働組合結成大会
2017(平成29)年 3月 1日 新シンボルマークを募集
2017(平成29)年 4月23日 大泉町議会議員選挙で都丸裕史 2期目の当選
2017(平成29)年 9月12日 第46回定期大会開催
労連名称を富士重工関連労働組合連合会(富士労連)からSUBARU関連労働組合連合会(SUBARU労連)への変更を承認
SUBARU労連 新シンボルマーク決定
SUBARU労連 新シンボルマーク

富士重工労組 航空宇宙事務所 小林航さん
労連に集う仲間一人ひとりが輝き、一つに集まって 力強く輝くさまを表現
S字の部分は、労連の仲間が集結している様子を星団に例えて表現し、中心の星は輝く星たちが結集し、力強い光を放つ様子を表す。 背景には、結集した星の光がより際立つように夜空のような深い青色を採用。

SUBARU労連の時代

2010年代

2018(平成30)年 8月25日 SUBARUテクノ労働組合結成大会
2018(平成30)年 9月11日 第47回定期大会を開催
2019(平成31)年 4月21日 太田市議会議員選挙で松浦武志 初当選
宇都宮市議会議員選挙で小平美智雄 2期目の当選
2019(令和元)年 9月10日 第48回定期大会を開催
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2020年代

2023(令和5)年 4月23日 太田市議会議員選挙で松浦武志 2期目の当選
宇都宮市議会議員選挙で大久保順也 初当選
2023(令和5)年 5月23日 結成50周年記念講演&レセプションを開催
結成50周年記念講演
結成50周年記念レセプション